月面に基地を作るなら、まず壁と床が要る。だが地球から資材を運べば、1kgあたり数百万円という輸送費がのしかかる。だとすれば道は一つしかない。月にある砂『レゴリス』を、その場で建材に変えることだ。
この「現地資源利用(ISRU、In-Situ Resource Utilization)」による建築技術のなかで、いま最も実用化に近いとされているのが、レゴリスを熱で焼き固める「焼結」である。日本、米国、欧州、中国がそれぞれ違うアプローチで開発を進めており、2026年に入ってからも実証実験のニュースが続いている。何がどこまで進み、何がまだ壁として残っているのか。
イグナイトbiz 編集部でその最前線を追った。
レゴリスが「建材」になれる理由
月の表面を数メートルから十数メートルの厚さで覆う堆積層、それがレゴリスだ。隕石の衝突や太陽風による宇宙風化で何億年もかけて形成されたとされ、ケイ酸塩を主体とするガラス質の微粒子を多く含む。
これまで提案されてきた建材化の手法は、大きく三つに分けられる。化学反応で固める方法、圧縮して押し固める方法、そして加熱して焼き固める・溶かす方法だ。水資源も添加剤も乏しい月面では、加熱による焼結・溶融が最も高い強度を得やすい手法として注目されてきた。ただし話はそう単純ではない。極めて高い真空の中では、地上の電気炉のような対流・伝導を使った加熱がうまく働かないという壁があったからだ。
名古屋工業大学が超えた「熱暴走」の壁
その壁に挑んだのが、名古屋工業大学の白井孝准教授らの研究グループである。マイクロ波加熱でレゴリスを月面インフラに使う構想自体は20年以上前からあったが、実用化を阻んできたのが「熱暴走」だった。
レゴリスを構成するケイ酸塩化合物は、マイクロ波で溶かして冷やし固めると緻密なガラス構造になる。ところが温度制御に失敗して熱暴走を起こすと、化合物自体が熱分解してガスを発生させ、内部に数百マイクロメートル規模の気孔を大量に作ってしまう。厄介なのは、その境界線がわずか50℃の差で訪れることだ。同じ処理温度でも、大気中では加熱後に軽く握るだけで崩れるほど脆く、真空中でも温度が少し違うだけで劇的に状態が変わる。
研究グループは高真空下(1.0×10⁻²Pa未満)でのマイクロ波吸収特性を詳しく調べ、真空加熱時に生成される酸化鉄(マグネタイト)がマイクロ波を吸収しやすく、これが局所加熱と熱暴走を引き起こす要因だと突き止めた。この知見をもとに温度を段階的に引き上げる「多段階加熱制御」を考案した結果、特殊な前処理なしで圧縮強度 約65MPaという、マイクロ波加熱による建材としては世界最高レベルの数値を2024年11月に達成している。
参考として、一般的な建築物に使われる普通コンクリートの圧縮強度が20〜30MPa程度であるため、65MPaはコンクリートであれば「高強度コンクリートに分類されるような、比較的高い強度を持つ」ということです。
1MPaは1,000,000Paとなります。材料工学や建築の分野では、ミリメートル単位で計算すると直感的に分かりやすくなります。1MPaは、1平方ミリメートル(mm²)の面積に1ニュートン(N)の力がかかっている状態と数学的に等しくなります(1MPa=1N/mm^2)。
加熱開始からわずか90秒で800℃を超えるスピードも特徴だ。この成果は国土交通省の宇宙無人建設革新技術開発プログラムと大林組との共同研究の一環で、学術誌Scientific Reportsに掲載された。
研究グループは現在、居住施設の防護層や着陸機の発着場・運搬路の舗装材への展開を目指し、採掘場所によって鉱物組成が変わるレゴリスへの対応や、パラボリックフライトを使った微小重力下での加熱挙動の検証を進めている段階だ。
次の一歩は接合課題の解決
焼結でブロックが作れても、それを組み上げて構造物にするには接合技術が要る。ここに動いたのが、東北大発のスタートアップSpace Quartersだ。
同社は2026年3月、無重力・月面重力を模擬した環境下で、電子ビームによる宇宙溶接技術の実証に世界で初めて成功したと発表した。使われた溶接機はわずか7kg。アルミやチタンといった金属材料に加え、大林組が提供した月面レゴリス焼結体の溶接も試験し、いずれも良好な接合強度を確認したという。
この取り組みは、JAXA宇宙探査イノベーションハブのもとで2024年度に始まった大林組・オリガミイーティーエスとの共同研究の成果であり、大林組は2024年6月にSpace Quartersとレゴリス接合技術の共同研究契約を結んでいた。
焼結という「素材を作る」技術と、溶接という「素材をつなぐ」技術。この二つが揃って初めて、月面での構造物建設は現実味を帯びてくる。
固めないという発想 JAXAとレゾナックの蓄熱材
一方で、レゴリスの使い道は構造材だけではない。JAXA宇宙探査イノベーションハブが半導体材料メーカーのレゾナックと進めているのは、レゴリスを高温で溶かさずに固める研究だ。
アルミ鋳造用の砂に樹脂を薄くコーティングして固める同社の技術をレゴリスに応用し、砂粒同士の接触面積を増やして熱の伝わる経路を太くする。これによって熱伝導率を高め、月の昼(約110〜130℃)にブロック内へ蓄えた熱を、マイナス170℃まで冷え込む月の夜でも保持しようという発想だ。2024年4月に始まった共同研究では、JAXA相模原キャンパスにある本物の月レゴリスの熱物性を測る設備を使い、高真空下での熱伝導率測定を実施。樹脂の配合量を増やすほど熱伝導率が向上することを確かめ、蓄熱材としての有効性を見出している。
高温で溶かす必要がなく、少ないエネルギーで済む点、そして樹脂を熱分解すれば元のレゴリスに戻せる点が評価されている。焼結が「壊れない骨格」を作る技術だとすれば、こちらは「越夜を支えるエネルギー源」を作る技術と言える。
海外勢 レーザー、太陽光、そして国家プロジェクト
日本国内の動きと並行して、海外でも複数のアプローチが進んでいる。
・米国勢
米国では、NASAが建設テック企業ICONに2022年、月面建設システム「Project Olympus」向けにSBIRフェーズIIIとして約5,720万ドルを授与した。同社が採用するのは「Laser Vitreous Multi-material Transformation」という手法で、高出力レーザーでレゴリスを溶かしセラミック状の構造体に固める。

Outfitting on the Lunar Surface』 R. G. Clinton, Jr., PhD
マーシャル宇宙飛行センターが管轄するMMPACT計画のもとで開発が進み、直近の節目は2025年2月、Blue Origin社のロケットを使って月面重力を約2分間模擬した「Duneflow」実験だ。アポロ計画で持ち帰った実物のレゴリスと模擬砂の挙動を比較し、低重力環境での自動施工システム開発に役立てている。
・欧州勢
欧州では、ESAが組んだコンソーシアムにFoster + Partnersが参加し、月面居住施設の3Dプリント建設を研究してきた。イタリアのAlta SpAやMonolite UK(D-Shape型プリンター提供)が加わり、4人が住める居住区の構想では、まず筒状モジュールから膨らませたドームの上に、ロボットがレゴリスを層状に積み重ねて発泡体のような中空セル構造の外殻を作る。

この基礎になっているのが、太陽光を集光してレゴリスを焼結する「太陽光焼結」を研究したHorizon 2020のRegoLight計画(2015〜2018年、独DLRなど参画)で、実験室レベルのTRL3から、可動式プリントヘッドによる焼結を実証するTRL5、さらに真空チャンバー内での太陽光焼結に近いTRL6手前まで到達している。


・中国勢
中国は2028年打ち上げ予定の「嫦娥8号」ミッションで、太陽エネルギーでレゴリスを溶かして3Dプリントでレンガを作る技術実証を計画している。すでに模擬レゴリスで作ったサンプルレンガを宇宙ステーション「天宮」に送り、今後3年間かけて温度変化・放射線・真空環境への耐久性を試験中だ。これは中国とロシアが主導する国際月面研究ステーション(ILRS)計画の一部で、ILRSは2035年前後の基本機能完成、2036年から2045年にかけての人間の長期滞在開始を目標に掲げている。

数字で見る強度の差 単純な優劣比較はできなさそう
各国の研究成果を並べてみると、圧縮強度の数値だけがひとり歩きしがちだ。名古屋工業大学の65MPaは、韓国建設技術研究院(KICT)が真空予熱250℃のマイクロ波焼結で得た13.66MPaや、インド科学大学院大学(IISc)が電気炉焼結の実験で報告した強度(模擬砂や焼結温度によって20MPa台から最大90MPa程度まで変動)と比べても遜色ない数値に見える。参考までに、地球上の一般的な構造用コンクリートは概ね20〜40MPa程度とされる。
ただし、この比較を鵜呑みにするのは危うい。真空か大気か、模擬砂の種類、加熱方式がマイクロ波かレーザーか太陽光か電気炉か、添加剤の有無……。
条件が一つ違うだけで数値は大きく動く。実際、フランス・トゥールーズ大学の研究チームは2025年4月、レーザー溶融による3Dプリント材の強度が、原料の結晶質・非晶質の割合によって大きく左右されることを報告している。結晶質の模擬砂を選択的レーザー溶融すると、非晶質のものと比べておよそ2倍の圧縮強度が得られる一方、いずれも気孔率の高さが強度の頭打ちにつながっているという。研究者の間では、こうした条件差を無視した単純な数値比較への懐疑が共有されているのが実情だ。
実用化までに残る課題
技術的な前進は明らかだが、実際に月面で建物を建てるまでの距離はまだ長い。
エネルギー源の確保は避けて通れない。約14日間続く月の夜をどう乗り切るかは、焼結装置の稼働にも蓄熱材の開発にも直結する課題だ。試験片はいずれもセンチメートル単位のブロックで、これを構造物として使えるメートル単位のパーツへスケールアップできるかは未検証の部分が大きい。微小重力や真空中での溶融・冷却挙動も、パラボリックフライトや短時間の模擬実験でようやく調べ始めた段階にすぎない。さらに、レゴリスの鉱物組成は着陸地点によって大きく異なることが知られており、名古屋工業大学のグループ自身もこの点を今後の検証課題に挙げている。
唯一の正解はなく、技術の組み合わせ
ここまで見てきた各国の取り組みを俯瞰すると、月面ISRU建築は「どの手法が勝つか」という単純な競争構図ではなくなりつつあるように見える。焼結で構造材を作り、溶接でそれをつなぎ、樹脂コーティングで熱をためる。用途ごとに異なる技術を組み合わせるという方向に、実質的に収斂しているのが現状だろう。
最初の実地検証の舞台になるのは、2030年代前半に予定されるNASAのアルテミス・ベースキャンプか、2035年前後を目指す中露のILRSになるだろう。ラボでの65MPaという数字は確かに前進だが、それが本物の月の真空・低重力・14日間の夜のもとでどう振る舞うのか、誰も月でまだ確かめていない。技術は着実に積み上がっている。
実際に月で試されるのはいつになるのだろうか? 楽しみで仕方がない。
