昨日、2026年3月31日24時、NTTドコモのFOMAとiモードが停波した。
大手ニュースサイトがいくつか記事を出し、SNSでは懐かしむ声がちらほら流れた。だがスマートフォンに慣れ切った今となっては、「そういえばそんなサービスあったな」という感想が大半だろう。
でも振り返ってみると、あの時代の技術は本当にとんでもなかったのだ。今のスマートフォンが「当たり前」にやっていることを、ガラケーは20年以上前にすでにやっていたのだから。
その歴史を見ていこう。
iモードが1999年に持ち込んだもの
iモードが登場した1999年当時、世界のモバイル業界で何が起きていたかを振り返ると、日本がいかに先行していたかがよくわかる。
ヨーロッパや北米では、SMS(ショートメッセージ)が普及し始めたばかりだった。160文字のテキストを送れること自体が「すごい」と言われていた時代である。WAP(Wireless Application Protocol)という国際標準規格もあったが、接続速度は遅く、コンテンツも乏しく、使い勝手は最悪で、「WAPはゴミ」というのがエンジニアの共通認識だったらしい。
そこにiモードが出てきた。
当時のNTTドコモが採用したのは、独自の軽量HTMLである「C-HTML(Compact HTML)」だった。既存のWeb制作の知識がほぼそのまま使えるため、コンテンツプロバイダーが参入しやすかった。これは地味に重要な判断で、WAP専用の記述言語(WML)を強いた海外勢と違い、開発者の裾野を一気に広げた。
さらに大きかったのが課金の仕組みだ。ドコモがコンテンツ使用料の徴収を代行し、月々の携帯料金にまとめて請求する。今ではApp StoreやGoogle Playが当たり前にやっていることだが、2000年前後にこの仕組みを実装していたのはiモードだけだった。コンテンツプロバイダーにとって「課金できる」ことは死活問題で、これがあったからこそ有料コンテンツ市場が日本で先に育った。
メールも違った。海外のSMSが「送って終わり」の非同期通信だったのに対し、iモードのメール(@docomo.ne.jpアドレス)はプッシュ配信で、届いたら端末がすぐ知らせる。リアルタイムに近いやり取りが携帯で可能になったのは、日本が世界で最初だった。
サービス内容も、今のスマートフォンアプリを先取りするものばかりだった。銀行の残高照会と振込、新幹線や航空券のチケット予約、ニュース速報のプッシュ配信、天気予報、路線検索。これらが2000年から2001年にかけて次々とiモードで使えるようになった。iPhoneが登場するのは2007年だから、7年近く先行していた計算になる。
絵文字という「発明」
iモードが世界に残した最も意外な遺産が、絵文字(Emoji)だろう。
1999年、NTTドコモの栗田穣崇が開発した最初の絵文字セットは172種類だった。携帯のテキストで感情や状況をうまく伝えられないという問題への、シンプルな解決策として生まれたものだ。ところがこれが後に、まったく想定外のスケールで広がることになる。
KDDIとソフトバンク(当時はJ-フォン)も独自の絵文字を展開し、キャリア間での互換性問題が長く続いた。転機はGoogleとAppleがUnicode標準に絵文字を組み込んだことで、一気にグローバル化した。今や世界中で毎日何十億もの絵文字がやり取りされている。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)は2016年、オリジナルの172種の絵文字をコレクションに加えた。純粋にデザインとして評価されたわけで、ガラケーの入力補助として作られたものが現代美術館に収まるとは、開発者自身も予想していなかっただろう。
FOMAの登場と3G時代
FOMAのサービス開始は2001年10月。世界初のW-CDMA(広帯域符号分割多元接続)方式による商用3Gサービスとして始まった。
当初の課題はエリアの狭さと端末の大きさだ。バッテリーの消耗も激しく、「3Gは使えない」という声も少なくなかった。だがインフラ整備が進むにつれて状況は変わり、2004年以降は動画メール、テレビ電話、音楽配信、ワンセグ(地デジの携帯向け放送)など、2Gでは不可能なサービスが次々と実用化された。
「着うた」や「着うたフル」の普及もこの時期のこと。楽曲の一部あるいはフルサイズを購入してダウンロードする仕組みで、音楽業界の収益モデルを一時的に変えた。CDの売上が落ち始めた2000年代中盤、着うたフルは「新しい音楽の買い方」として本当に機能していた時期があるのだ。ストリーミングが来る前の話だ。
なぜ終わったのか
4G(LTE)が普及し始めた2012年以降、3Gの役割は急速に縮んでいった。LTEは通信速度が3Gの10倍以上で、遅延も少ない。周波数帯の利用効率という観点からも、FOMA向けに割り当てていた帯域をLTE・5Gに転用する方が合理的だった。
スマートフォンへの移行も、サービス終了を後押しした。2008年のiPhone 3G発売以降、日本のスマートフォン普及は急ピッチで進み、2015年前後にはフィーチャーフォン(ガラケー)のシェアが逆転された。iモードのコンテンツは基本的にスマートフォンでは使えないため、移行したユーザーはiモードを自然に使わなくなっていった。
それでも残り続けたユーザーがいた。高齢者、シンプルな機能だけ使いたい人、長年使い慣れたインターフェースを変えたくない人。私の祖父も、つい一年前までガラケーとFOMAの組み合わせだった。
通信世代の交代を振り返る
日本のモバイル通信の歴史を区切ると、こうなる。
1979年、NTTが世界初の自動車電話サービスを開始したのが1G(アナログ)の始まりだ。その後、1993年に2G(デジタル)へ移行し、小型化・軽量化と同時にテキストメッセージが使えるようになった。2001年のFOMA登場が3Gで、動画・音楽・ネット接続が本格化した。2012年のLTE開始で4G時代に入り、5Gは2020年から商用化が始まっている。
各世代の移行がおよそ10年サイクルで来ていることを考えると、FOMAが25年近く提供されたのは長い。通信技術としては相当な長寿だった。iモードとFOMAは筆者よりも長寿だ。(筆者は2006年生まれ)
今回のFOMA・iモードの終了で、業務用・法人向けも含めて1G・2G・3Gのすべてが停波したことになる。2026年4月現在、日本のモバイル通信インフラは実質的に4G LTEと5Gだけで動いている。
結局、あの時代は何だったのだろうか?
iモードとFOMAが作ったのは、「ケータイでなんでもできる」という時代だったのだろうと今を生きる私は思う。
ガラパゴスと呼ばれた。日本独自の進化を遂げすぎて、世界標準に乗り遅れたという文脈で使われた言葉だ。確かに、iモードはグローバル展開でうまくいかなかった。ヨーロッパや北米への進出を試みたが、根付かなかった。
ただ、「ガラパゴス」には別の側面もある。日本のユーザーは、スマートフォンが世界を席巻する前から、モバイルで音楽を買い、映画を予約し、銀行振込をこなしていた。その体験の蓄積がある。iモードの時代を経験した世代にとって、スマートフォンへの移行は「新しい世界への入口」というよりも「もっと速くなった延長線」だったかもしれない。
停波のニュースに「寂しい」とコメントする人たちを見て、単純に懐古趣味とは思えなかった。あの時代に確かにあっただろう「ケータイへのときめき」みたいなものは、私にとってはなかなか感じにくい。私が物心ついた時からスマホがある便利になりすぎている世代のためだろうか?
いずれにせよ、FOMAとiモードは終了した。でも絵文字は今日も世界中で使われている。それでも十分、実績だと思う。
記事を作成する間は、先人たちのモウレツな熱量を浴びる時間だった。
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